安倍首相よ、脱法移民を認めるな
最新号の『国民新聞』〔第19200号〕に上記のタイトルで一文を寄稿しましたので、その全文を転載いたします。
転載にあたり、誤字など一部の表現は修正しました。
安倍首相よ、脱法移民を認めるな

 去る十一月二十一日、安倍首相は衆議院の解散に踏み切り、十二月十四日に総選挙が実施される。
 解散直後の記者会見において、安倍首相は「アベノミクスを前に進めるのか、それとも止めてしまうのか、それを問う選挙であります」と述べた。アベノミクスの是非を争点にしたいといふことであらうが、そもそも国民はアベノミクスの内容を十分に理解してゐるか。アベノミクスは「大胆な金融緩和」・「機動的な財政政策」・「新たな成長戦略」といふ「3本の矢」からなるが、「新たな成長戦略」の一環として実質的な移民受入れ政策が展開されつゝあることを国民は知らされてゐない。
 六月二十四日に閣議決定された《「日本再興戦略」改訂2014》を見ると、「外国人材の活用」として、(1)高度外国人材受入れ環境の整備、(2)外国人材技能実習制度の抜本的見直し、(3)製造業における海外子会社など従業員の国内受入れ、(4)女性の活躍推進、家事支援ニーズへの対応のための外国人家事支援人材の活用、(5)介護分野の国家資格を取得した外国人留学生の活躍支援等、といふ五項目が列挙されてゐる。安倍首相は十月一日の衆議院本会議における平沼赳夫氏の質問に対し、「日本再興戦略に盛り込まれてゐる外国人材の活用は、移民政策ではありません」、「多様な経験、技術を持つた海外からの人材に日本で能力を発揮して頂くもの」、「安倍政権は、いはゆる移民政策をとることは考へてをりません」と答弁してゐるが、これが移民受入れ政策でなければ何なのか。安倍首相の発言は、国民を瞞着する詭弁としか云ひやうがない。
 期限付きの出稼ぎ労働者として受入れたとしても、家庭を形成するなど生活基盤が確立してしまへば実質的には移民と同じだ。現行の国籍法では、五年以上の国内居住実績など幾つかの要件を満たせば容易に日本国籍取得の途が開け、被選挙権を含む参政権が付与される。日本人と結婚すれば、もつと短期間で日本国籍を取得できる。我が国に敵意を有する外国人が労働者として入国し、国政を左右することも不可能ではない。実際、現行の制度下においても技能研修制度と留学制度を悪用して少なからぬ支那人が定住してゐる。これなど、まさに「脱法移民」だ。
 交通手段や通信手段が飛躍的に発展し、国境を越えたモノ、カネ、ヒトの移動が活発化した現在、グローバルな経済活動から無縁でゐることは不可能である。だが、モノやカネと異なり、国境を越えたヒトの移動は幾つかの問題を孕む。
 第一に、先住者の生活水準が低下しかねない。多くの先住者は低賃金で働くことを厭はない移民との競争を強ひられ、場合によつては職を失ふ可能性さへある。第二に、深刻な文化摩擦を引き起こしかねない。「郷に入れば郷に従へ」といふ諺の通り、移民が相手国に同化できれば良いけれども、そんなことは不可能だ。
 現に、第二次世界大戦後、人手不足を解消しようと移民を積極的に受入れた欧州諸国では、これらが相俟つて深刻な社会問題となつてゐる。その轍を踏まぬやう、今回の衆議院選挙を通じて安倍首相に翻意を促さねばならない。
 とは云へ、与党である自民・公明両党は云ふに及ばず、野党の危機感も薄い。衆院選に向けて各党が発表したマニフェストを見たところ、僅かに平沼氏が代表を務める次世代の党が「東京オリンピックに備へて、入国管理と治安警備を強化」、「国民健康保険の海外療養費制度厳格化」と謳つてゐるが、これは対症療法に過ぎぬ。民主党や維新の党に至つては、いはゆる「ヘイトスピーチ」の規制を公約に掲げてゐる。日本国に寄生し、日本人の平穏な生活を阻害する外国人への怒りの表明を問答無用で犯罪扱ひする両党に祖国の未来は託せない。
 「脱法移民」の問題にまで目を向けてゐるのは、鈴木信行氏が代表を務める維新政党・新風だけである。同党の衆院選不出馬が残念でならない。
〔金子宗徳・日本国体学会理事〕
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週刊読書人に執筆しました
現在発売中の『週刊読書人』〔2014(平成26)年7月18日〕に、中野目徹氏の『明治の青年とナショナリズム―政教社・日本新聞社の群像』に関する小生の書評「ナショナリズムと知性」が掲載されましたので、是非とも御一読下さい。

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『週刊読書人』に書評を執筆しました
本日発売された『週刊読書人』〔2012(平成24)年12月7日〕に、前田勉氏の近著『江戸の読書会』に関する小生の書評「現代社会にも必要不可欠な場」が掲載されましたので、是非とも御一読下さい。

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【講演要旨後篇】三島由紀夫研究会のメルマガで掲載されました
 三島由紀夫研究会のメルマガ『三島由紀夫の総合研究』(平成24年8月22日)において、去る7月30日に講演させて頂いたものが講演要旨の後篇として編集部の文責でまとめられ配信されていましたので、前の記事に引き続き御紹介させて頂きます。



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 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成24年(2012)8月22日(火曜日)
        通巻第675号
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三島由紀夫研究会例会(平成24年7月30日)
講演要旨「三島由紀夫と国体論」(後編)
金子宗(里見日本文化学研究所主任研究員、弊会会員)
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 <小誌8月19日、通巻673号の続き>

(承前)
三島由紀夫の国体論
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「私見によれば、言論の自由の見地からも、天皇統治の『無私』の本来的性格からも、もっとも恐るべき理論的変質がはじまつたのは、大正十四年の『治安維持法』以来だと考へるからである。すなはち、その第一条の、『国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ……』といふ並列的な規定は、正にこの瞬間、天皇の国家の国体を、私有財産制度ならびに資本主義そのものと同義語にしてしまつたからである。この条文に不審を抱かない人間は、経済外要因としての天皇制機能を認めないところの、唯物論者だけであつた筈であるが、その実、この条文の『不敬』に気付いた者はなかつた。(傍線編集部)

正に、それに気づいた者がなかつた、といふところに、『君臣水魚の交り』と決定的に絶縁された天皇制支配機構が呱々の声をあげるのである。

国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇は、日本の近代史においては、一度もその本質である『文化概念』としての形姿を如実に示されたことはなかつた。

このことは明治憲法国家の本質が、文化の全体性の侵蝕の上に成立ち、儒教道徳の残滓を留めた官僚文化によつて代表されてゐたことと関はりがある。私は先ごろ仙洞御所を拝観して、こののびやかな帝王の苑池に架せられた明治官僚補綴の石橋の醜悪さに目をおほうた。

すなはち、文化の全体性、再帰性、主体性が、一見雑然たる包括的なその文化概念に、見合ふだけの価値自体(ヴェルト・アン・ジッヒ)を見出すためには、その価値自体からの演繹によつて、日本文化のあらゆる末端の特殊事実までが推論されなければならないが、明治憲法下の天皇制機構は、ますます西欧的な立憲君主政体へと押し込められて行き、政治的機構の醇化によつて文化的機能を捨象して行つたがために、つひにかかる演繹能力を持たなくなつてゐたのである。雑多な、広汎な、包括的な文化の全体性に、正に見合ふだけの唯一の価値自体として、われわれは天皇の真姿である文化概念としての天皇に到着しなければならない。……

このやうな文化概念としての天皇制は、文化の全体性の二要件を充たし、時間的連続性が祭祀につながると共に、空間的連続性は政治的無秩序さへ容認するにいたることは、あたかも最深のエロティシズムが、一方では古来の神権政治に、他方ではアナーキズムに接着するのと照応してゐる。

『みやび』は、宮廷の文化的精華であり、それへのあこがれであつたが、西欧的立憲君主政体に固執した昭和の天皇制は、二・二六事件の『みやび』を理解する力を失つてゐた。」〔三島「文化防衛論」〕

 以上長々と「文化防衛論」を引用したが、三島は「国体」を「文化の全体性」との関わりで捉えようとする。そして天皇を、文化を文化たらしめる超越者として位置付ける。
ところで三島がいうように、当時治安維持法の「不敬」に気付いた者は本当に居なかったのか?また明治憲法と文化の全体性については三島と橋川文三との論争があった。いうまでもなく三島の二・二六事件に対する肯定的評価は『憂国』や『英霊の声』の核心である。

里見岸雄の国体論
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「もはや、到底、一片の講演会などで、思想の取締は出来ないと悟つたところへ、一方無産者運動が急激になり社会主義思想が駸々としてその陣営を進むるや、ブルジョア政治家は、つひに、大正十四年、かの治安維持法なるものを公布した。その第一條に/国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス/とあつた。これ当時、左陣営から、盛んに悪法として攻撃されたもの、吾人等又、当時、国体と私有財産制度とを同架に置くの甚しき不法なることを論じたものである。神聖なる国体は、かくして、ブルジョア階級の自己防衛の具に悪用された。……(昭和三年の帝国議会により両者の区別を試みたものの―引用者補足)

 国体と私有財産制度とを、殊更にかく近接事項として取扱ふ用意の中にブルジョア精神の国体利用が看破せられるのである。為政者のブルジョア擁護のこの態度が、ただでさへ生活苦の為に眼くらんだ無産階級思想運動者流に、いよいよ日本国体即ブルジョア主義組織といふ心證を強調するであらう事は余りに明白だ。無産階級の国体即資本主義制度観が無智に基いたものであるにしても、強いて国体をブルジョア擁護の楯の如く取扱ふ者共の不都合はまさに日本国民の名に於て糾弾すべき国体冒涜罪である。為政者みづから心なき国民をして国体と私有財産制度とを混同する様に導いてゐるこの不都合を何で黙過し得よう。日本国体は断じて私有財産制度と混同さるべき者ではなく、又、近接して同架に取り扱れ得べきものではない。私有財産を否認する事によつて脅威を感ずるものはただ私有財産によつて生活を享楽してゐる者丈である。

この一部の有産階級の利害に関する問題と、萬世一系の天皇を全社会的生活の人格中心として奉戴する事を破壊せんとする行為とを、あはよくば、結合せんとするが如き卑劣不都合なる心事を容認する事は、真に一君万民主義者のよく為し能はざるところでなければならぬ。」〔里見岸雄『天皇とプロレタリア』(昭和四年)〕

 以上のように里見は治安維持法の「不敬」に気付いていた。さすれば三島は里見の著作を読んでいないのではないかと推測できる。

 「吾等の創造すべき無比の国体は、刻々の現実に存せねばならぬ。若しもこの現実に創造すべき何の国体もなくただ過去の伝統と光栄とを保守してゐる丈けなら、国体は、社会の進化と共に、人間生活の行動の変遷と共に無意味にならざるを得ないではないか。国体は永遠に吾人の行動の中に把握されねばならぬ。刻々に変化しゆく高速度テンポの社会に、つねに清新なる人格的共存共栄の実をあげてゆく人格的創造の中に、仰いでつきず、望んで涯しなき日本国体の真の栄光は輝くのだ。吾人は今日にあつて、徒らに過去の国体美を懐古主義的に讃歎してゐるのが能ではない。現代の社会に、いかにせば万邦無比の国体を実現し得べきかといふ事こそ、吾等の生活の中に要求せられつつある実際問題だ。神国といふも、過去の神国観念では駄目である。いかに現実社会が神国的であるかが必要だ。世にこれほど明瞭な国体論は無い筈だのに、群盲、象を探るの慨あるは、皇国の為め切に憂ふべきことである。

 世に類稀なる万世一系も、亦宇内に冠絶せる皇徳も、克忠克孝も、みな、万邦無比の国体の一断面であつて、それぞれに独立して、それ一つで万邦無比の国体なのではない。古来の民族その他の伝統も、国家秩序の組織も、皇室も臣民も、思想も生活も、その悉くが、綜合され協力冥合して、人格的共存共栄態を実現しようとする無限の意志と努力との中に、万邦無比の国体の胎生もありその生長、完成も期して待ち得るのである。」〔里見『天皇とプロレタリア』(昭和四年)〕


以上述べられた里見岸雄の国体論によれば、「国体」とは(文化を含む)諸現象の総体ではなく、それらを生み出す「究極的基盤体」と捉える。また「天皇」とは即「国体」ではない。「国体」とは既に完成しているものではなく、生命弁証法に基づき常に生成発展し続けるものということになる。



皇位継承問題について
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最後に時局的な話として、いわゆる皇位継承問題について触れておきたい。まず里見岸雄博士の皇位継承論は要約すると次の如くなる。

1)男系男子による継承が原則である。里見博士の戦前に書いたものを読むと男系継承が絶対であり、女系継承の可能性に触れたものは一切ない。しかし戦後になって旧十一宮家の臣籍降下があってから、里見博士の考えは少し柔軟にかわってくる。(昭和22年頃の論文)
2)男系男子による継承が困難となったときは男系女子の継承を認め、皇統出自の名族より皇婿を迎えるものとする。但し里見の書いたものを読むと、一般民間人からの入夫を完全に排除しているわけではないと読みとれる。
3)一方で里見は臣籍降下した者の皇籍復帰は望ましくないとも述べている。その背景として平安時代において一度臣籍降下した皇子を皇籍に復帰させて即位させた例(宇多天皇)があるが、これは藤原基経の政治的思惑によるものであったからであると指摘されている。
4)傍証としては、法華経における男女平等思想が里見の思想の基にあったことは想像に難くない。

またこれに対して、私の皇位継承問題に対する考え方は以下の通りである。

本来、この皇室典範にかかる問題は勅裁を以て決すべきことであり、国民としては議論を尽くすことしかできない。またその必要がある。ただ現状は男系派も女系派も自分の反対意見を罵倒したり、冷静な議論が行われていないのは残念である。
 個人的には女系継承イコール「国体」破壊とは思わぬが、男系男子主義を尊重する見地から旧皇族系一般国民男子の皇籍復帰可能性についても検討することは必要だと思う。その際には、皇族身位令など旧法の精神を斟酌すべきであろう。
(おわり)
(文責編集部)

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【講演要旨前篇】三島由紀夫研究会のメルマガが掲載されました
三島由紀夫研究会のメルマガ『三島由紀夫の総合研究』(平成24年8月19日)において、去る7月30日に講演させて頂いたものが講演要旨の前篇として編集部の文責でまとめられ配信されていましたので、御紹介させて頂きます。


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 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成24年(2012)8月19日(日曜日)
        通巻第673号
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例会(平成24年7月30日)講演要旨
「三島由紀夫と国体論」(前篇)
金子宗徳(里見日本文化学研究所主任研究員、弊会会員)

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(講師プロフィ−ル:昭和50年生まれ、政治学者。専攻は近代日本政治思想史・現代文明論。筑波大学付属駒場中学・高校を経て京都大学へ進む。経済学部から総合人間学部に転じ、在学中に第三回読売論壇新人賞優秀賞を受賞。同大学院人間・環境学研究科修士課程に進学し、同博士課程修了退学)現在里見日本文化学研究所主任研究員、日本国体学会理事。)
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▼三島由紀夫と私

私が「右翼少年」になったきっかけは小学生の4年か5年の頃たまたまテレビの政見放送で、白髪の老人が髪を振り乱して「土井たか子を牢屋へぶち込め」とか「朝日新聞なんかどうこうしろ」とか極めて過激なことを絶叫していたのを観て衝撃を受けたのが最初であった。この老人とは大日本愛国党の赤尾敏氏であった。以後私は右翼というものに関心を持つようになった。


その後私は筑波大学附属駒場中学、高校に進んだ。この学校は学年の半分が東大に進学するという、いわば戦後民主主義エリート養成所ともいうべき学校であったが、そこで社会科を教える教師は殆どが家永三郎門下の左翼といってもいいくらいであった。(筑波大学の前身は東京教育大学で家永三郎がその看板教授であった。)私は国立の学校であったので、行事には国旗・国歌があるだろうと思っていたが、全くないのには驚いた。
当時は冷戦が終結するとともにバブル景気が終息してゆく時代であったが、一方でマルクス主義と資本主義の野合を感じとり、現代社会に対する根源的違和感を感じた私は次第に三島由紀夫に関心を持つようになっていった。とくに三島由紀夫の『英霊の声』は私の心の支えになったといえる。そして私の関心は保田與重郎や新右翼にも向けられるようになった。

大学に進むときに、周りが東大を受験する中で私は『近代の超克』で知られる京都学派に興味を抱き、その京都学派を生んだ京都大学に進んでみたいと思うようになった。ところが憧れの京都大学に入学してみると、現実は全く異なり私は失望することとなる。さて京都大学在学中に私は「国家としての『日本』−−その危機と打開への処方箋」という論文で第三回読売論壇新人賞優秀賞を受賞した。ちなみに最優秀賞は長島昭久氏であった。尚この私の論文は『安全保障のビッグバン』(共著、読売新聞社)に収録されている。

▼里見岸雄とは


里見岸雄(明治30年〜昭和49年)は国柱会創始者である田中智學の三男として生まれ、のちに里見家へ養子に入り以後里見姓を名乗った。早稲田大学文学部哲学科を卒業し、欧州留学した後に里見日本文化研究所を創設した。里見岸雄は「国体科学」(科学的国体論)を提唱し、その著書『天皇とプロレタリア』(昭和4年)や『国体に対する疑惑』(昭和3年)がベストセラーになった。里見岸雄は大正14年に治安維持法が制定された際、同法が国体と私有財産制を同列視するものとしてこれを厳しくこれを批判した。また天皇機関説問題の際には、天皇機関説と天皇主体説の双方を批判する立場をとった。里見は『国体法の研究』(昭和13年)により立命館大学から法学博士号を授与された。

里見岸雄は三島由紀夫をどう捉えたか

昭和45年11月25日の三島由紀夫の自決について、里見岸雄は「三島由紀夫と飯守重任」〔『国体文化』(昭和46年3月号)〕において次のように述べている。
「三島由紀夫という人には私は一面識も無いし、その作品もこれまで一つも読んだことがなかった。」しかし三島由紀夫は「文字通りの意味で真の『文士』に価する者」であった。「三島氏は割腹自殺という以上の行為を以てその享受した人生を主体的に完結したのであって、知ったかぶりの利口ぶった第三者的評言を遥に超えた厳粛性、壮絶性がある。」
「文学がどうの美学がどうのなどという問題とは何の関係もない彼の国士的生涯の終幕であったのである。」

「彼は一寸おもしろいことを言っている。『国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来てはじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守ることにしか存しないのである』と。だが三島由紀夫の自衛隊観はその皮相の形式美を見てその骨髄の漸く腐食されつつあるシビリアンコントロール下の自衛隊の本質の変化を的確に捉えかねていた。」
「三島が期待したであろう結果が自衛隊内に直ちに現象的にあらわれなくても、精神史的には可成り大きな意義を認めらるべきであろう。問題は自衛隊の決起というが如き即時的反応に重点があるのではなく、三島ほどの高名有能の文士が、憲法改正の悲願の為めに、その生命を供養したと見るべき一点に存する。仏典を見ると、仏道修行の菩薩達が或は生身を焼いて燈と為して供養したとか或はその肉を割いて供養したとかいう話に数々遭遇するが、三島の割腹は、まさに憲法改正という国民的悲願の成就の為めに、その身命を国家に供養したものと解すべきであって、彼の愛国精神の燃焼した最高の姿であったにちがいない。」

「憲法改正を叫ぶ者は決して少くない。然し憲法改正の為めに自ら命を断った人は、三島由紀夫氏を以て嚆矢とする。悲壮な死であった。その精神史的意義は大きいが、三島ほどの情熱と文才と行動力を有った有為の士が、同じことなら自決というような道を選ばず、徹底した憲法改正の啓蒙運動に後半生を捧げてくれたならば、いかに偉大な効果が期待できただろうかと、私は、それを惜しいことに思うのである。」

「ともあれ三島の自決は憲法改正を志す日本国民にとって、一つの大きな刺戟であった。彼の死を高貴あらしめるものは、それが憲法改正の志念とつながっていることであった。彼の生前に知り合えなかったことは残念に思えてならぬ。」

以上のように晩年の里見岸雄は三島由紀夫と面識がなかったにもかかわらず、また後述するようにその天皇観において違いがあったものの、その決起と自決の趣旨と精神を大変高く評価していたことがわかる。

鈴木邦男氏の主張について

鈴木邦男氏の最近の著書に『竹中労』というのがあるが、その中で鈴木氏が「三島は里見の影響を受けていると思う。」と書いている箇所がある。これは本当なのか?里見学派を継承するものとして看過できない表現である。この鈴木氏の本では竹中労氏の発言が以下のように引用されている。
「名前が粋でね、八犬伝や岸打つ波という感じでしょ(笑)、まずそれでひっかかって、いま言ったように内容的には違和感があったのです。ウムと肯綮に当ったのは戦後、それも二十年以上たってからなんですよ。三島由紀夫が東大全共闘と対話した前後、『文化防衛論』を読んでいてフッと里見岸雄が記憶の底から蘇よみがえってきた。手に入るかな彼の本がと思って本棚を見たら、あるじゃないの『天皇とプロレタリア』と『国体に対する疑惑』が。それで読みなおして、1969年に出版した『山谷/都市叛乱の原点』に彼の国体・政体分離論を借用したわけなんです。」〔竹中労『竹中労の右翼との対話』〕

「小説家は、タネ本を出さないのが建前なのです(笑)。『文化防衛論』は里見岸雄理論を下敷きにしている、というぼくの指摘は絶対に間違いないと確信しています。」〔竹中同書〕
一見鋭い感性のように思われるが、実証的な裏付けがない。
「天皇制犹駛楴腟銑瓠福帖弔隼笋燭舛聾討屬海箸砲靴茲Α砲侶从儡霹廚蓮近代的な統一国家の形式に名を借りた、地租収奪の独占による。」〔竹中『山谷/都市叛乱の原点』〕

「佐野・鍋山はいう、『革命の形態は各国の伝統的、民族的、社会心理学的因素によって異なる』、したがって、日本においては、『皇室を戴いて牋豺饉匆饉腟然很伸瓩鮃圓Δ里自然であり、また可能である……』と。それは、北一輝の『天皇ヲ奉ジテ速ヤカニ国家改造ノ根基ヲ完ウセザルベカラズ』(日本改造法案・大綱)とする、天皇制犲匆饉腟銑畛彖曚肇轡礇狒仞源のように一致する。だが、―革命とは、歴史伝統の肯定的発展であるのか?」〔竹中同書〕

「1969年5月12日、作家三島由紀夫は、東大全共闘『焚祭』の討論集会に出席して、『日本の民衆の根底にあるもの、―天皇制を把握しなければ、諸君の革命も成功しなければ、私の文学もあり得ない』と語った。その指摘は正しい。ただし、三島の把握しているのは、『士』の理念であり、私たちは『穢多』の思想に依拠する。天皇制犹駛楴腟銑瓩箸蓮△り返し指摘したように、『差別』『搾取』の権力の二重構造、いいかえれば狎治・イデオロギー的支配甅犒从兒拉朖瓩虜然たる一体としての国家権力であった。……そして今日、三島由紀夫が『士』のイデオロギーから問いかける天皇制?神話?に、革命的学生たちはほとんど答えるスベを知らず、なぜか友好的ムードを通わせてしまうのである。」〔竹中同書〕

鈴木邦男氏が引用する竹中労の論は、「穢多」(=窮民)による革命を夢想するなかで、里見や三島から「天皇制」と「資本主義」や「社会主義」を切り離すという発想のヒントを得たということに過ぎない―あくまで、竹中にとっての里見であり三島である。鈴木邦男氏には他者の発言や論述を全く検証することもなくそのまま引用したり、根拠なくその論が自分の結論であるかの如く書く性癖(軽さ)があるのは残念である。
  (つづく)          (文責・編集部)

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『週刊読書人』に書評を掲載しました
 本日発売された『週刊読書人』〔2012(平成24)年6月8日〕に、高島航氏の近著『帝国日本とスポーツ』に関する小生の書評「戦前の日本におけるスポーツと政治の関係を描く」が掲載されましたので、是非とも御一読下さい。 

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三島由紀夫研究会のメルマガで拙論に御言及頂きました
三島由紀夫研究会と言えば、日本学生同盟の流れを汲む団体で、憂国忌を主催していることでも知られています。

同研究会のメルマガ(平成24年4月1日)に矢野一輝氏の「最近の皇室論を考える」という一文が掲載されており、その中で小生が執筆した『国体文化』(平成24年1月号)の巻頭言についても言及されているので御紹介いたします。

最近の皇室論を考える
            矢野一輝 (会員)
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 かつて男系か女系か論議がやかましかった皇統問題は、秋篠宮家に悠仁親王がお生まれになってから一旦鎮静していたかに見えたが、昨年暮に政府が女性宮家創 設を提起して以来再び議論が熱を帯びてきた。政府、宮内庁は女性宮家創設をいわゆる女系天皇とは切り離して、あくまで天皇陛下の御公務の負担を軽減し象徴 天皇を維持するため、女性宮家を創設して皇族の減少に歯止めをかけることに必要であると主張しているが、そこには何とか女系天皇に道を開きたいという底意 が看取されることは容易であろう。

 まず筆者の立場を明らかにするならば、本来皇室典範はあくまで勅諚によるものであ り、戦後憲法体制下で皇室典範が一般法になっていること自体がおかしいこと、本来皇統問題は臣下があれこれ詮索論議することにあらず、ということである。 もちろん男系論は筋が通っているしこのまま男系が維持されるのであればまことに望ましく何ら問題はない。ただ将来男系を前提とした皇統護持が危機に瀕する ことは疑いない現実である。一方で女系容認論の中には如何にして万世一系の国体を護持すべきか苦悩と煩悶の中から生まれてきたものもあることを認める。そ こで最近の皇室論議を概観してみたい。

 まず現在書店の店頭に並んでいる『わしズム』(小林よしのり責任編集・幻冬 社)なる雑誌を取り上げたい。まず表紙いや裏表ともに何とも小林よしのり氏の顔写真がでかでかと出ていてとても上品とはいえない。表紙に「女性宮家創設の 真相はこれだ!」という見出しがなければこの雑誌が高邁な論議をする雑誌とは思えないほどだ。更に中身を見て驚くのは、小林よしのり氏の巻頭論文と漫画に 続いて平泉学派の重鎮であり歴史学の泰斗である田中卓博士の「女系天皇公認の歴史的正当性」や高森明勅氏の「『女性宮家』創設のための皇室典範改正案」な どの女性宮家創設支持、女系天皇容認の主張がオンパレードで続く。

  田中卓博士の論は従来から主張されている通りだが、 要は「日本の国体にとって、不朽・不滅の鉄則は、天照大神の“天壌無窮”の『神勅』である。」こと、「天照大神が“女神”であることを思えば、皇統の始ま りが“女系”であったと申してもよいのである。」こと、「従って血統(世系)の上からは天照大神から始まるというのが皇室の所伝であり、これは正しく『女 系』と申して差し支えない。」のである。そして最後に田中卓博士は皇室典範改正を議する皇室会議に畏くも天皇陛下にもご親臨を仰ぎ、その場で典範改正が決 すれば

 これは御聖断を拝したことと同じであり、それこそ“承詔必謹”であるとする。以前から田中卓博士は皇祖(天照大神)が女性であること、またその子孫が三種の神器を奉戴して皇位を継がれるならそれが女性であろうと万世一系の国体は護持されると主張している。

 また高森明勅氏は男系論者が主張する旧皇族の皇籍復帰論は非現実的であるとし、女性宮家創設そして女系天皇を認めることが現実的な解決策だと主張する。旧 皇族といっても厳密な意味での旧皇族方はもはや年齢的に皇太子殿下よりもはるかに年長でありこういう方々が皇籍に復帰して皇位を継ぐのはありえないし、旧 皇族を広い意味での旧皇族の家に生まれた男子の子孫と言い換えても一般国民として生まれた人間が皇位につくこと自体君臣の分をないがしろにする危険性があ るとする。高森氏はこの点を葦津珍彦や里見岸雄などの国体論を引用して強調する。

 但し問題なのは、高森氏が女性宮家創 設問題が提議された背景には畏れ多くも天皇陛下の御憂念があるとし、従ってこれは女性宮家創設は大御心である、という議論に発展することになり、そうなれ ばこれに反論する者は逆賊であるということになってしまうに等しい。そうなれば一切の議論は出来ない、問答無用ということになりかねない。

 田中卓博士や高森明勅氏は何れも尊皇心のあつい、国体護持については絶対的な信念を抱かれている立派な方と思う。だが小林よしのり氏の議論は如何であろう か。得意の漫画を駆使して男系天皇維持を主張する八木秀次氏、安部晋三氏、竹田恒泰氏らを徹底的にこきおろす。(その似顔絵がうまいのはさすがに感心する が)けれども小林よしのり氏が「陛下のご意志は女性・女系天皇の公認だ」と放言して、男系論者を「『Y染色体』カルト」とか「全く尊皇心のない」「わざと 皇統を絶やそうとしている者たち」と罵詈雑言をいいまくるにおいて本来あるべき君子の議論が品性も何もあったものでないレベルに堕ちてしまっているのは残念である。

  一方男系天皇維持派の論者もまた議論をエスカレートさせて、女性宮家創設論は女系天皇に道を開き、結局は万世一系の皇統を断絶させてわが国体を滅亡させようとする法匪官僚や左翼勢力の策謀だとする。(上記以外にも小堀桂一郎、百地章、新田均の諸氏など多数)その主張は論壇で言い尽くされてきたので、紙幅の関係上割愛する。

 ここで筆者が卓見だと思ったのは、国体論の若き論客である金子宗徳氏の「かような重大問題については、天皇陛下の御聖断を仰ぐべき−そのためにも、「皇室会議」の拡充が強く望まれる−であり、臣子たる国民は(女系天皇の公認・旧皇族末裔への皇籍付与も含めた)あらゆる選択肢を提示し、公論を尽くすことしか できぬのではないか。その際、如何なる形であれ、大御心を制約するが如き言動は厳に慎まねばならぬ。天皇の御位に即かれ、国家・国民をしろしめす広大なる 皇恩に感謝こそすれ、皇位継承を巡り「〜して頂きたい」などとマスコミを通じて発言することは、尊皇心に基づく行為であったとしてもゆるされない。」 (『国体文化』一月号掲載「臣子たる分を弁えて議論すべし」より引用)とする発言である。まさに卓見、正論である。

 またやはり四宮正貴氏は「『皇室典範』は本来「勅定」であり国民や権力機構が干渉してはならない」、「臣下・政治家が『皇室典範』を改定すること自体、不 敬不遜の極みである。」(『政治文化情報』三月二十五日号より)要するに承詔必謹、ただ大御心にまつべしと主張する。金子宗徳氏も四宮正貴氏も過熱する一 方の皇統論議を今一度冷静な状態に戻そうということである。

 あと次に西尾幹二氏の新著『皇太子様への御忠言』(ワッ ク出版)にも触れておきたい。本書は四年前に出された同名の書の改訂版である。本書は序章につづいて、書名にもなっている第一章「皇太子様への御忠言」と 第二章「皇位継承問題を考える」の三章からなっている。第二章の皇位継承問題については西尾幹二氏は男系尊重派、女系容認批判派であり、上記にも触れた田 中卓、高森明勅あるいは所功の諸氏による女系容認論を厳しく批判する。とともに男系が正しいとするのは何も国体護持派だけでなく、奥平康弘氏のような左翼 の天皇制廃止論者まで将来男系が断絶すればそれをもって日本国体は断絶するとみなしていることを紹介している。西尾氏はこれを「目に見えない皇室の敵」と して警戒を呼び掛けている。国体護持派が男系だいや女系だと争っている間に、「目に見えない皇室の敵」はやがて国体が終焉するときをひそかに待っていると いうことである。西尾氏の警告は真剣に受け止める必要があろう。

  さて序章と第一章だが皇太子様への御忠言というより も雅子妃殿下への批判がメインとなっている。これについては以前この論文が雑誌に発表されたときに竹田恒泰氏が西尾氏を「朝敵」と批判して話題となった。 皇太子殿下が将来の天皇たる御自覚に欠けておられる、その最大の理由は雅子妃殿下にあるというのが西尾氏が言い続けてきたことである。だが本書ではそれが エスカレートして妃殿下の父君たる小和田恒氏への個人攻撃にまでいたっている。西尾氏いわく「小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦 争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ。」「妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、妹たち一家と頻繁に会っている様 は外交官小和田氏と無関係だと言えるだろうか。」「雅子妃のご父君は娘にどういう教育をしてきたのでしょうか。日本人にとってご皇室とは信仰の源であり、 畏れ多いのだという認識が小和田一族に欠けていることに根本があるのではないか。」と矛先を小和田恒氏にまで向けている。

 また西尾氏は、デヴィ・スカルノ夫人がネット上で皇太子廃嫡の書名運動を行う過激な行為について「行き過ぎであることは明らかですが、その心情は理解でき ます。」と弁護さえしている。本書で西尾幹二氏が展開している皇太子及び同妃殿下に対する非難には一部に同調する読者もいるかも知れないが、しかしこれは 竹田恒泰氏が厳しく批判したように君臣の分を逸脱した僭越な作法と見なされても仕方ない。また妃殿下のご実家とご父君のことをあれこれいうことは全く問題 の本質とは関係ないことである。

 以上最近の皇室論議を概括してきたがこの論議に出口が見えないことに憂慮するもので ある。女性宮家創設が提起されて以来、大マスコミは一斉に女性宮家創設賛美論を展開している。世論調査では女性宮家創設賛成派が多数であり、NHKの大河 ドラマでは朝廷のことを「王家」と呼んで誰も異を唱えない。次第に皇室が欧州の王室と同じである、あるいはそれで構わないという認識が広まろうとしてい る。

 最後にこの新春、富岡幸一郎氏が『週刊ポスト』誌(1月27日付発行)に発表した「女性宮家創設の前に読んでお きたい三島由紀夫の天皇論」という論文に触れたい。富岡幸一郎氏はこの論文の中で三島の『文化防衛論』が示した「文化の象徴としての天皇」すなわち「文化 概念としての天皇」を紹介するとともに、「文化概念としての天皇」は「菊と刀」との永遠の連環のなかにあるものであり、そこに戦後日本への根本的批判が含 まれているとする。そして富岡氏はいう。「天皇の歴史的本質を自覚することなく、ただ皇室の存続を、現在だけの地平で喧々囂々するのであれば、天皇などは 要らない。三島はそう言いたいのではないだろうか。」富岡氏は女性・女系天皇論に反対し、男系維持を主張する立場である。しかし、その議論の前に天皇とは 何か、わが国体とは何かその歴史的本質を明らかにしておく必要がある、という富岡氏の主張の正しさと深さは正に至当といわざるをえない。


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『新日本学』(第23号)に書評を寄稿しました。
12月20日に発行された拓殖大学日本文化研究所の紀要『新日本学』第23号(平成24年冬号)に、坪内隆彦氏の新著『維新と興亜に駆けた日本人―今こそ知っておきたい二十人の志士たち』に関する小生の書評「来たるべきアジア維新のために本書を通じて先人の足跡に触れる」を寄稿しましたので、坪内隆彦氏の新著と併せて御一読下さると幸いです。

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 『新日本学』第23号
(平成24年冬・『日本文化』通巻第47号)
拓殖大学日本文化研究所 発行

■拓殖大学日本文化研究所 秋のシンポジウム
後藤新平とその時代 ― 日本はこうして復興する
安倍晋三 田村秀男 渡辺利夫 澤田次郎 遠藤浩一

■奥州討伐と運慶の創造 田中英道
■武士道雑考(三) 呉善花
■近代日本文明の拡散と迷走 黄文雄
■フランスにおける仏教 モロジャコフ・ワシーリー
■思想としての服飾 花田太平
■ドイツはなぜ脱原発に踏み切ったか 川口マーン惠美
■醍醐帝とその時代 井尻千男

■コラム
東と西(4) 福井義高
〈朝鮮屋〉の独白 荒木和博

■図書館
眞鍋貞樹著『コミュニティ幻想を超えて』(花田太平)
坪内隆彦著『維新と興亜に駆けた日本人』(金子宗徳)

■茗渓日記





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『国民新聞』に寄稿しました。
『国民新聞』(平成23年10月25日)に拙文「明治の日制定運動を平成維新の第一歩とせよ」が掲載されました。こちらより全文を御覧になれます。

明治23(1890)年、徳冨蘇峰によって創刊された『国民新聞』は戦時中の新聞統合で消滅するも、昭和41(1966)年に有志により復刊されました。御購読申し込みはこちら

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『無窮』(第43号)が刊行されました
『無窮』は稲田朋美衆議院議員の御尊父である椿原泰夫氏が編集・発行するミニコミ誌で、小生も「昭和維新史ノート」という連載をさせて頂いています。その最新号(右)が発行されたので、目次を御紹介致します。

 「頑張れ日本!―草莽(草の根)の崛起を(二)
  『頑張れ日本! 全國行動委員會・京都府本部』
  設立記念大會」…椿原泰夫
 「歴史教科書記述の各社比較(十九)」…谷垣泰三
 「『古事記』の讀・解について」…上坂丈右衛門
 「日本人の心とは?」…中島英迪
 「隨感隨筆(その三)」…山崎隆司
 「拝啓 蔡焜燦先生」…浅見正
 「知恵のないリーダーの早期仕分けを」…桑瀬勝朗
 「昭和維新史ノート(二十一)」…金子宗徳
 「私の歌日記」…椿原直子

御興味を持たれた方は、小生まで御一報頂ければ御送付致します(誌代は無料です)。

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